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山崎八幡宮(通称 はちまんさま) |
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鎮座地 |
〒746-0017
山口県周南市宮の前1丁目9番10号
電話:0834-62-2410
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祭神 |
(主祭神)応神天皇 (お丶じんてんのう)
(配祀神)
田心姫命 (たごりひめのみこと
湍津姫命 (たぎつひめのみこと)
市杵嶋姫命 (いちきしまひめのみこと)
~功皇后 (じんぐうこうごう)
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由緒沿革 |
奈良時代の和銅2年(709年)、周南市富田河内にある神室山(みむろやま)に神が降臨され、(来年が1300年前に当たる)、これを奉斎したことが当社の起原という。
また一説には、豊前国宇佐八幡宮の御分霊を祀ったとも言う。
この後、山崎の地に遷し、「江宮」と称した。
平安時代の神仏習合時代には、真言宗の荘宮寺と習合し、「庄寺八幡宮」と呼ばれた。
明治維新を迎えるにあたり、元治元年(1864)「山崎八幡宮」と御社名を改めた。
その間平安時代の大同元年(806) と、江戸時代の宝暦7年(1757)の再度の火災で、御社殿.宝物・古文書等全て焼失している。
現在の社殿は、明治9年(1876)に再建されたものである。
明治4年2871)に郷社となり、昭和5年(1930)県社に昇格した。
境内の亀朕碑には、次の由緒がある。
古くは社の前は海辺であった。虎の形をした洲があり、これを「虎の洲」と呼んだ。
又西方には文水(あやのみず)という霊水が湧き、宝亀年間(770〜)天使が来てその水を酌み、祭を行ったという歌がある。
「酌みて知る江宮浜の文水清き流れの千世の行末」とあり、鎌倉時代の寛元年間(1243〜)、再び天使が来て祭りを行った。
その時の歌は、「周防なる江宮浜の虎の洲に藻を刈る海人の袖やほすらむ」と詠んでいる。
室町時代の天文8年(1539)、領主の陶弘護や、隆房(晴賢)は、神前に扁額を寄進し戦勝を祈願している。
江戸時代には、徳山藩主の御祈願所として、歴代の藩主が社参して崇敬した。
『防長寺社由来』には、富田一二畑の惣鎮守の社で、西国7社明神と言い伝えられた。
秋祭には、「神事能楽」が奉納された記録がある。
その後神事能は止み、代りに藩主が大小3つの山車(だし)(引山)を奉納するようになった。
この山車による神事は、今も「本山神事」として続けられている。
また宮の馬場では、「流鏑馬」が行われていた。
この頃の徳山藩では、年中行事として連歌を興行した、春正月に藩邸内で、秋は8月八幡宮へ奉納するのが恒例であった。
現在市の文化財に指定された『連歌集』には、延宝9年(1681)より明治5年(1872)迄、49年分が保存されている。
連歌の後は『和歌百首奉納祭』に代りこれは終戦年(1945)まで毎年続けて奉納された。
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主要祭典 |
歳旦祭(1月1日)
節分祭(2月3日)
春季大祭(4月10・11日)
茅輪神事(6月30日)
夏祭り(7月25日)
例祭(9月第4土・日曜日)
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社殿 |
本殿(流造・6坪)
弊殿(4坪)
拝殿(9坪)
渡殿(13坪5)
神饌殿(4坪)
祖霊殿(神楽殿・6坪)
廰舎(36坪)
桜門(4坪)
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境内神社 |
荒人神社(沖津彦神・沖津姫神)
恵比寿神社(事代主神・大国主命)
住吉神社
(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
祖霊社(氏子家々之神霊)
今川神社(天満宮・菅原道真公)
宮地嶽神社(息長足比売命外2柱)
稲荷神社(保食神)
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境内地 |
2711坪
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境内構造物 |
ニノ鳥居(石造・大正3年)
三ノ鳥居(石造・天和3年)
鳥居(石造・昭和13年)
注連石(石造・大正5年)
大灯籠(石造・安政5年)
大灯籠一対(銅造・昭和62年)
御神馬(銅造・昭和61年)
灯籠一対(石造・寛保2年)
灯籠一対(石造・宝暦11年)
灯籠一対(石造・寛政5年)
灯籠一対(石造・天明8年)
灯籠一対(石造・嘉永6年)
灯籠一対(石造・明治13年)
灯籠一対(石造・大正3年)
灯籠一対(石造・大正6年)
灯籠(石造・明治29年)
灯籠(石造・昭和7年)
神田講記念碑(石造・大正12年)
顕彰碑(石造・明治41年)
顕彰碑(石造・明治41年)
青木健作の句碑(石造・昭和35年)
築山之碑詞(石造・明治23年)
狛犬(石造・安永6年)
狛犬(石造・大正15年)
由緒碑(石造・文化4年)
手水舎(木造瓦葺・昭和6年)
神輿庫(木造瓦葺・明治37年)
神庫(木造・6坪)
倉庫2棟(木造)
社務所(木造)
御百度石(石造・天保6年)
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特殊神事 |
節分祭(追灘式)2月3日
6月祓(茅輪神事)6月30日
秋季例大祭の本山神事9月第4土・日曜日
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奉納芸能 |
本山神事の離子と舞(市指定文化財)
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社宝 |
連歌懐紙62帳付重硯一式(市指定文化財)
天神像(奈古屋里人作)
屏風重硯文台
鎮西八郎の弓
狸々緋の幟
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神社庁設立以降 |
戦後昭和20年代(1945〜)の終りに奉賛会が結成され、昭和30年(1955)に地下氏子の有志による節分祭の福引喜行事が始められた。
昭和34年 (1959)、御祭神1650年祭、御鎮座1250年祭を斎行した。
昭和38年(1963)、御修築奉賛会を解散し、その後昭和43年(1968)と 47年(1972)に修築を行い、昭和49年(1974)に御修築本殿遷座祭を斎行している。
昭和62年(1987)には、御鎮座1275年の式年 大祭を行った。
記念事業として、社務所の新築(165平方メートル)と神齪所の新築、さらに西側の境内整備を行った。
平成2年(1990)には、御大典奉 祝記念の祭曲ハを行い、記念事業として境内整備・便所の新築・神庫・御神具の修理などを行った。
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宮司 |
河谷 昭彦
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氏子数 |
6200戸 |
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